かもかものブログ

日頃の楽しかったこと、心を動かされたこと

横浜マラソン

29日横浜マラソンに主人が参加することになっていて
27日から応援がてら、東京に向かいました。


せっかくだからと浅草のねぎま鍋が有名なお店
一文さんに行ってみることにしました。


江戸時代、庶民の間で食べられていた江戸ねぎま鍋。
千寿ねぎと、まぐろトロが主役。
昔はまぐろを醤油漬けにして保存していたため、
赤身が重宝していたそうなのです。
脂が多いトロの部分は保存に適さない為、
捨てられていたそうです。
そのトロを何とか捨てずに料理に出来ないかと
考えだされたのが江戸ねぎま鍋とのこと。
食べ過ぎるとしつこいトロも、
お鍋に入れると脂がすっと抜け、お出汁に溶け、
その旨味がネギにからみ、ネギもまた美味しくなる、そんな鍋だそうです。


確かに脂っこいトロもネギもちょうどよいあんばいで
美味しくいただきました。


そして次の日、なんと接近する台風22号の影響で
横浜マラソンは中止になったとの発表が、、、
マラソンの応援と横浜球場の日本シリーズパブリックビューイングを
楽しみにしていたのに、残念な結果となりました。


10月に二度も大型台風が日本に接近するなんて
ホントに地球環境が心配になります。


北陸ヨガフェスタ at 芝政

マスター スダカー氏の


ヒップオープニングフロー
~肩凝り解消としての
   ヴィヤガラーサナフロー
に参加させていただきました。


レッスンの前にお話がありました。
自分が嫌だと思っている相手について
嫌いだと思うことをどんどん言ってみなさい。
その後その人の長所も思いつくままに言ってみなさい。


二人一組で時間を決めて実践してみると
長所はいろいろ言えるのに
嫌な点ってなかなか思いつかないものです。
あんなに嫌な人だと思っていたのに、、、


実はいま仕事場に苦手な人がいます。
私がこつこつと積み上げたものを破壊されてしまい
いっそいなくなれば良いのにってすら
思ったこともあります。
自分が受けた心の傷を繰り返し思い出し
ネガティブな思考にとらわれてしまう


マスター氏いわく、
だれでも苦手な人や嫌な人はいる
感情的になることもあるだろう。
ただ、そのネガティブな思考にとどまってしまうことこそが
ヨガの道から外れた行為だと。
客観的にみてみれば
その嫌なところとは実は大したことがないことに気付くだろうと。


ヨガを通して自分の人生をよりよくしたいと思うならば
両親に感謝し、隣人を愛しなさい。
友達から笑顔を向けられるのを待つのではなく
先に自分から挨拶をし、笑顔を向けなさい。


意固地になって本来の自分の姿を見失いそうになっているときこそ
ヨガを通し、気付きを持ちたい。


目先のことにとらわれず、大きく広い目で物事をとらえ
感謝する気持ちを忘れずにいたい。


夕日のきれいな公園をあるきながら
改めてそう思いました。


検察側の罪人

『検察側の罪人』は、雫井脩介氏による小説。


「時効」をストーリーの着想の端緒としていて、
そのため検事を作品の主題として選んでおり、
取材には元検察官の郷原信郎が協力しているそうです。


2013年の『週刊文春ミステリーベスト10』の国内部門4位に選出されたほか、
宝島社の『このミステリーがすごい! 2014年版』の8位となったそうで
読んでいくうちにどんどん引き込まれるストーリー展開です。


この作品が木村拓哉と嵐の二宮和也出演で映画化されることとなり
話題になっています。
一部記事によると
映画でキムタクは、二宮演じる熱血漢の若手検事と
対立するダーティーなエリート検事役を演じる。
主演と持ち上げられていますが、
見方を変えれば“2番手”で損な役回り。
そのためなのか、撮影現場では眉間にしわを寄せ、
はた目からでも不機嫌になっているのが分かる。
撮影スタッフでさえ、よほどのことがない限り話しかけられない。
これでは共演者とのコミュニケーションも図れず、
現場の雰囲気は最悪になっている


ドラマや映画の撮影現場では、
笑顔を絶やさないといわれたキムタクの姿はなく
追い込まれた感がある。これには理由があるという。
絶対に映画をヒットさせなければならないという十字架だ。


一部メディアが、映画を『木村と二宮のダブル主演』と報じてしまい、
ジャニーズ事務所がクレームを入れたとのこと。
あくまで『主演は木村。ダブル主演ではない』と。
それ以来、メディアは木村主演という表記になり、
二宮は共演者という扱いになった。
あらためて“キムタク主演”と強調されたことで、
全ての責任は木村に一任された。


映画化されるのでどこにスポットライトがあたるかは
わかりませんが
実際に原作を読んでみると
私にはキムタク演じる検事、最上が主人公に思えます。
一般の人間にはちょっと理解できない
検事ならではの発想がある意味この小説のカギになっていると
思うからです。


そしてキムタク自身がそれをわかっているから
あえて、出演者と距離をおいているところもあるのかなと
思ったりもします。
特にキムタクファンでもないですが
この最上をうまく演じられたら
これまでのキムタクの評価を塗り替えるような
そんな難しい人物像であると思えます。


いろんな意味で話題になっているこの作品。
映画化されたら是非観てみたいと思っています。